給与は銀行に振り込まれる。当たり前だと思っていた。
ところが労働基準法を読むと、原則は現金で直接手渡しと書いてある。振込のほうが例外だった。
そして2023年には、その例外にもうひとつデジタル払いが加わっている。原則はそのままで、例外だけが増えていく構造になっている。
この記事は育ちます。公開後も、会話パート・トーク・補足を足していきます。
公開 2026-10-10 / 最終更新 2026-10-10(公開)
水深 — 賃金支払いの5原則
労働基準法24条が、給与の払い方を定めている。よく「賃金支払いの5原則」と呼ばれる。
- 通貨払い 現金で払う
- 直接払い 働いた本人に払う
- 全額払い 全部払う(勝手に差し引かない)
- 毎月1回以上払い 月に1回は払う
- 一定期日払い 決まった日に払う
このうち、いまの実務といちばん食い違って見えるのが通貨払いだ。
条文の趣旨は「現物支給を禁じる」ことにある。昔は給料の代わりに商品を渡したり、その会社でしか使えない金券を渡したりすることがあった。それを封じる規定だった。
現金で払え、というより、モノで払うなという話だったことになる。
銀行振込は、どこで認められているか
では振込はなぜいいのか。
労基法24条には「法令もしくは労働協約に別段の定めがある場合」という但し書きがある。そして労働基準法施行規則7条の2が、その「別段の定め」にあたる。
そこで、労働者の同意があれば、本人名義の預貯金口座への振込ができるとされている。
つまり、
- 原則 現金手渡し(通貨払い)
- 例外 本人の同意があれば、本人名義の口座へ振込
ここで大事なのが「本人の同意」だ。

同意を取っていますか
実務で盲点になるのがここだと思う。
振込にするには、労働者の同意が要る。そして口座は本人名義でなければならない。家族の口座に振り込むのは、直接払いの原則に反する。
同意は、入社時の書類にまとめて含まれていることが多い。「給与振込口座届」がそれにあたる。あの紙は、単なる口座番号の連絡ではなく、通貨払いの原則に対する同意書だった。
そう思って見ると、書式の意味が変わってくる。
なお、同意は口頭でも法的には成立しうるが、実務では書面か電子データで残す。あとで「同意していない」と言われたときに、証明できるようにしておく。
2023年、デジタル払いが解禁された
例外がもうひとつ増えたのが令和5年(2023年)4月だった。
厚生労働大臣が指定した資金移動業者の口座に、給与を送金できるようになった。いわゆる「◯◯ペイ」への給与払いがこれにあたる。
条件は細かく決まっている。主なものを挙げる。
- 労使協定の締結が必要
- そのうえで、労働者ごとの個別の同意が必要
- 口座の上限は100万円。超えた分は、あらかじめ指定した銀行口座へ自動的に出金される
- 現金化できることが条件。ポイントや暗号資産では払えない
- 労働者に現金または銀行口座という選択肢を残す必要がある
強制はできない。「今後は全員◯◯ペイで」は、労基法違反になる。
100万円の上限が意味していること
上限100万円という数字が面白い。
資金移動業者は銀行ではない。銀行のような預金保険(1金融機関あたり1,000万円まで保護)の対象外だ。
そこで、業者が破綻したときに労働者が損をしない仕組みを別に用意している。保証機関との契約などで、資金を保全させる。
そのうえで、滞留する金額を100万円で頭打ちにする。上限を超えた分は自動で銀行口座に出る。給与口座として使われても、そこに何百万円も溜まらない設計になっている。
給与を預かる仕組みではなく、給与を通す仕組みとして設計されている、と読める。
それでも普及していない理由
制度は3年前に始まっている。ただ、身のまわりで給与をデジタル払いにしている人は、あまり聞かない。
理由を整理するとこうなる。
① 事業者側の手間
労使協定を結び、個別同意を取り、給与システムを対応させる。人事・労務の作業が増える。
② 従業員側の動機が弱い
銀行振込で困っていない。振込手数料は会社が負担していることが多いので、本人の得にならない。
③ 業者の指定が進むのに時間がかかった
厚労大臣の指定を受けるには審査がある。指定業者が出そろうまでに時間がかかった。
④ 全員分の口座を管理する手間が増える
銀行口座とデジタル口座が混在すると、給与振込のデータ作成が2系統になる。
要するに、誰にとっても、いまのままで困っていない。制度ができても運用が変わらないのは、ハンコのときと同じ形だった。

全額払いの原則と、天引き
5原則のうち、経理が毎月触っているのが全額払いだと思う。
給与からは、いろいろ引かれている。
- 所得税、住民税
- 健康保険、厚生年金、雇用保険
- 社宅の家賃、財形貯蓄、社内預金、組合費
このうち、法令に定めがあるもの(税と社会保険)は、そのまま引ける。
一方、社宅費や親睦会費のような法令に定めのないものは、労使協定(賃金控除協定)を結んでいないと引けない。
これは意外と抜けている会社がある。「昔からやっているから」で天引きしているが、協定を確認したら結ばれていなかった、ということが起きる。
毎月の給与計算をしているなら、賃金控除協定の有無は一度確かめておく価値がある。
端数処理と、支払日が休日のとき
細かいところも押さえておく。
① 給与計算の端数
1円未満の端数が出たとき、切り捨てると「全額払い」に反する可能性がある。実務では、50銭未満切り捨て・50銭以上切り上げ(四捨五入)という扱いが、行政解釈として認められているとされる。
ただし、常に切り捨てる運用は避けたほうがいい。積み上がると未払いになる。
② 支払日が休日にあたるとき
「一定期日払い」の原則がある。支払日が休日のときは、前倒しにするのが原則的な考え方になる。後ろにずらすと、その月の支払日が動いてしまう。
就業規則に「支払日が休日の場合は前営業日に支払う」と書いてあるか、確認しておく。書いていなければ書き足す。
③ 毎月1回以上
年俸制でも、月に1回は払う必要がある。年俸を12分割するか、16分割して賞与を組み込むか。いずれにしても、月ごとの支払いは飛ばせない。
退職した人の給与
もうひとつ、忘れやすい規定がある。
労基法23条。労働者が死亡または退職した場合、権利者の請求があった日から7日以内に、賃金を支払わなければならない。
通常の給与支払日を待たなくていい、ということではなく、請求されたら7日以内になる。
退職者から「今すぐ払ってほしい」と言われたら、次の給与日まで待ってもらう、というのは通らない。これも知らないと事故になる。
積立金や保証金など、労働者の権利に属する金品も同じく7日以内に返還する。
現金手渡しは、まだ残っている
デジタル払いの話をしてきたが、現金手渡しがなくなったわけでもない。
- 短期のアルバイト
- 日雇いの現場
- 口座を持っていない人
こういう場面では、いまも現金で払われている。そして法律上は、それがいちばん素直な形になる。
給与明細を配って、封筒に現金を入れて渡す。かつては全部それだった。銀行振込が一般化したのは1970年代以降と言われる。
50年かけて例外が主流になった。 そして条文のほうは、いまも「通貨払い」が原則のまま残っている。

航路 — 原則は変わらず、例外が増えていく
整理する。
- 労基法24条の賃金支払5原則。通貨・直接・全額・毎月1回以上・一定期日
- 銀行振込は例外。施行規則7条の2と、労働者の同意が根拠
- 口座は本人名義でなければならない
- 令和5年4月、デジタル払いが解禁。労使協定+個別同意、上限100万円、現金化できること
- 強制はできない。現金か銀行口座の選択肢を残す義務がある
- 法令に定めのない天引きには、賃金控除協定が要る
- 退職者への支払いは、請求から7日以内(労基法23条)
条文を読んで意外だったのは、制度が追認の形をしていることだった。
現金で払うのが原則。振込は例外として認められた。デジタル払いも例外として追加された。原則そのものは、1947年の制定から変わっていない。
現実のほうが先に動いて、法律があとから例外を足していく。印紙税のときも、ハンコのときも、同じ形だった。
原則を書き換えるのは大ごとだが、例外を足すのは比較的やりやすい。そうやって、条文と実態のあいだの距離が開いていく。
読むときは、原則だけ読んで終わらない。例外のほうに、いまの実務が書いてある。
実務でよく出る、5つの場面
条文の話を、現場の質問に落としておく。
① 給与を家族の口座に振り込んでほしいと言われた
できない。 直接払いの原則に反する。口座は本人名義でなければならない。
例外として、本人が病気などで受け取れない場合に「使者」に渡すことは認められうるが、家族名義の口座への振込は別の話になる。
② 本人から「仮払いしてほしい」と言われた
労基法25条に非常時払いの規定がある。出産、疾病、災害など、非常の場合の費用にあてるためなら、既に働いた分の賃金を、支払日前に請求できる。
これは「前借り」ではなく、すでに発生している賃金の繰り上げ払いだ。まだ働いていない分を貸すのとは、法的に全く違う。
③ 貸付金を給与から天引きしたい
法令に定めのない控除なので、賃金控除協定が必要。協定があっても、天引きの同意を本人から取っておくほうが安全だと思う。
なお、労基法17条は前借金と賃金を相殺することを禁じている。貸付が「働かせるための前借金」の性格を持つと、そもそも相殺できない。純粋な貸付と、労働を拘束する前借金は、分けて考える必要がある。
④ 遅刻・早退の分を引きたい
働いていない時間分を引くのは、ノーワーク・ノーペイの原則で問題ない。全額払いに反しない。
ただし、遅刻1回につき1時間分を引くといった、実際の不就労時間を超える控除は、制裁(減給)にあたる。制裁には労基法91条の制限があり、1回の額が平均賃金の1日分の半額を超えてはならず、総額が1賃金支払期の賃金総額の10分の1を超えてはならない。
⑤ 給与の過払いに気づいた
翌月の給与から引く、というのはよくやる。ただし全額払いの原則との関係で、調整的相殺として認められる範囲が問題になる。
一般に、過払いに近接した時期に、あらかじめ本人に予告して、額が多額でない場合には認められると解されている。半年前の過払いを黙って一括で引く、というのは避けたほうがいい。
いずれも、本人に説明して同意を取るのがいちばん安全だという結論になる。
給与明細は、義務なのか
意外と知られていないが、給与明細の交付義務は労基法ではなく税法と社会保険法から来ている。
- 所得税法231条 給与等を支払う者は、支払明細書を交付しなければならない
- 健康保険法・厚生年金保険法 保険料を控除したときは、計算書を交付しなければならない
労基法には「明細を出せ」という直接の規定がない。5原則の中にも入っていない。
ただし結果として、税法と社会保険法の両方から義務づけられているので、出さなくていいことにはならない。
電子交付も可能だ。所得税法231条2項で、本人の承諾を得れば電子的に提供できるとされている。承諾を取っていれば、紙で配る必要はない。
支払日を変えたいとき
「一定期日払い」の原則があるので、支払日は勝手に動かせない。
変更するなら、
- 就業規則(賃金規程)を改定する
- 不利益変更にあたる場合は、労働者の合意が要る
支払日が後ろにずれるのは、労働者にとって不利益になる。25日払いを月末払いにするのは、5日分の資金繰りを労働者に負担させる変更だ。合理性の説明と、丁寧な説明が要る。
会社の資金繰りの都合で支払日を動かすというのは、いちばん揉めるパターンだと思う。
5原則が守っているもの
最後に、なぜこの5つなのか考えてみる。
- 通貨払い → 価値のよく分からないもので払われない
- 直接払い → 親方や仲介者に抜かれない
- 全額払い → 勝手に差し引かれない
- 毎月1回以上 → 何か月も待たされない
- 一定期日 → いつもらえるか分からない状態にならない
全部、働く側が生活を組み立てられるようにするための条件になっている。
1947年にこれが作られた時代には、どれも実際に起きていた問題だった。現物支給、ピンハネ、天引き、支払いの遅延。
いま読むと当たり前に見えるのは、この条文が効いているからだと思う。当たり前になったものほど、なぜそれがあるのかが忘れられる。
この記事は、まだ書きかけです
この記事は、公開してから足していく形にしています。調べたことを書いた本文がまず先にあって、あとから「聞き手と話し手の会話」「あとで思い出したこと」「読んだ人から教わった補足」が積もっていきます。
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更新ログ
- 2026-10-10 公開(本文のみ。会話パートはこれから足します)

