キーボードの左上は Q W E R T Y と並んでいる。アルファベット順でもなければ、よく使う文字が集まっているわけでもない。
なぜこの順番なのか。定番の答えはこれだ。
「タイプライターの活字棒が絡まないように、わざと打ちにくくした」
自分もそう覚えていた。ところが調べてみたら、この説はかなり怪しい。そして俗説がどこから生まれたかまで、特定した研究があった。京都大学の論文だ。
この記事は育ちます。公開後も、会話パート・トーク・補足を足していきます。
公開 2026-09-28 / 最終更新 2026-09-28(公開)
水深 — まず、事実関係を並べる
配列は一度で決まったわけではない。何度も変わっている。
- 1867年10月 クリストファー・レイサム・ショールズが最初の特許を出願
- 1868年 初期の28キー機。配列はアルファベット順だった
- 1868年11月 アルファベットの後半(N〜Z)を右から左へ並べ替え
- 1870年4月 38キー版。数字と記号を追加。「ほぼアルファベット順だが、UがOの隣」という状態
- 1870年9月 電信会社の担当者に見せたところ、手厳しく批判され、配列変更を含む多数の改良を要求される
- 1872年8月 42キー版。電信会社の要求に沿って文字が再配置される
- 1873年 製造権をレミントン社に売却。ショールズの要求でYがTの隣へ
- 1878年1月 No.2でシフト機構(大文字/小文字)を導入
- 1882年8月 ここで現代のQWERTYが確定。MをNの隣へ、CとXを入れ替え
10年以上かけて、少しずつ動いている。
ちなみに最後の1882年の変更について、京大の研究は別会社の特許を回避するためだったと説明している。
暗礁① — 「遅くするため」は、伝言ゲームで生まれた
まず、よく言われる説明を正確にしておきたい。
元の主張は「活字棒の衝突を減らすため、よく使う連続した文字を離した」だった。
「タイピストを遅くするため」ではない。後者は前者が変質したものだ。
英語版Wikipediaも、この説明に「one popular but possibly invented explanation(広く知られているが、おそらく作り話である説明)」と注釈をつけている。
そして京都大学の安岡孝一・安岡素子による研究が、俗説の出所を特定している。
1980年の山田尚勇の論文にある一文——
the keyboard arrangement was unintentionally made more difficult to type fast on
(キーボード配列は、意図せずして速く打ちにくいものになった)
この「unintentionally(意図せずして)」が、孫引きされるうちに落ちた。そして「ショールズが意図的に遅くした」という主張になった、という指摘だ。
意図せず、が、意図的に、に変わった。 一語が消えて、意味が逆になっている。

京大の研究は、電信が起源だと言っている
安岡夫妻の論文「On the Prehistory of QWERTY」(ZINBUN 42号、2011年、京都大学人文科学研究所)は、別の起源を提示している。
電信(モールス信号)の受信作業だ。
論証は4本立てになっている。
1. 最初の顧客が、電信技手だった
初期のタイプライターの主要な買い手は、モールス信号を受信して書き取る人たちだった。
論文の一節がはっきりしている。
The speed of Morse receiver should be equal to the Morse sender, of course. If Sholes really arranged the keyboard to slow down the operator, the operator became unable to catch up the Morse sender.
(モールスの受信者は、当然ながら送信者と同じ速度で打てなければならない。もしショールズが本当に打鍵を遅くするために配列を組んだのなら、受信者は送信に追いつけなくなる。)
遅くする動機が、構造的に存在しない。 顧客が困る。
2. Sの位置が、アメリカン・モールスで説明できる
SがZとEの両方の近くに置かれている。これがずっと不自然だった。
アメリカン・モールス(当時アメリカで使われていた方式)では、Zが「・・ ・・」と表される。受信中、これがSとEの並びと紛らわしい。
打ち間違えたときにすぐ直せるよう、SをZとEの近くに置いた——という説明になる。
3. 活字棒の配置を実測したら、合わなかった
決定的なのがこれだ。博物館にある実機を調べたところ——
the typebar basket of Sholes & Glidden Type-Writer did not mathematically correspond to the keyboard arrangement.
(活字棒のバスケットの配置は、キーボード配列と数学的に対応していなかった。)
さらに、英語で頻出する連接(ER/RE、AN/NA、EN/NE)は、むしろ隣接または近接して配置されていた。
衝突を避けるために離したのなら、逆になっているはずだ。
4. 当時の運指法では、そもそも衝突しにくい
当時のタイピング教本の運指法(8本指法、6本指法)では、「ed」のような組み合わせを同じ指で打つ必要がなかった。ジャミングを心配する場面自体が限られていた。
結論は「偶然の産物」
論文の結論はこうだ。
There was no consistent policy towards QWERTY. The keyboard arrangement was incidentally changed into QWERTY.
(QWERTYへ向かう一貫した方針は存在しなかった。配列は偶発的にQWERTYへと変わった。)
ショールズの電信受信への対応、レミントンの製造上の制約、別会社の特許回避。異なる主体の異なる都合が積み重なった結果、たまたまこの並びになった。論文はこれを「a winding road(曲がりくねった道)」と呼んでいる。
ただし、定説が覆ったとまでは言えない
公平に書いておく。安岡説は有力だが、学界の全員一致ではない。英語版Wikipediaも「代替仮説」という位置づけで併記している。
書くとしたら「ジャミング説は裏づけが弱く、電信起源説が近年有力」までで、「ジャミング説は完全に否定された」とは言えない。
暗礁② — Dvorakは本当に速いのか
QWERTYの話には、必ずDvorak配列が出てくる。
アウグスト・ドヴォラックとウィリアム・ディーリーが設計し、1936年5月12日に米国特許2,040,248として登録された。
設計思想ははっきりしている。
- ホームロー(中段)に約70%を集中(上段22%、下段8%)
- 母音を左手、高頻度の子音を右手に置いて、左右交互の打鍵を最大化
理屈は通っている。1982年にはANSIが代替配列として認定した。
では、実際に速いのか。
「The Fable of the Keys」という論文
1990年、リーボウィッツとマーゴリスが「The Fable of the Keys」(鍵の寓話)という論文を発表した。Journal of Law and Economics 誌。
Dvorakが速いという証拠を、徹底的に洗い直したものだ。
ドヴォラック自身の1936年の著書について——別々の研究者が別の目的で行った実験の速度を、そのまま比較していた。被験者の年齢も能力も学校制度もバラバラで、無作為抽出かどうかも示されていない。
1944年の海軍実験について——これが有名な「Dvorakは75%速い」の出所だ。
- Dvorak群はわずか14人
- 対照群18人のQWERTYタイピストとは、測定のやり方が違っていた。QWERTY側は最初と最後の4回の平均に丸められ、Dvorak側は生の初回・最終スコアが使われた
- この差が、見かけ上の伸び幅を大きくしていた
利益相反について——ドヴォラックは研究費として少なくとも13万ドルを受領していた。さらに彼は第二次大戦中、海軍の動作研究の主任専門家(少佐)だった。1944年の実験は「ドヴォラック博士自身が実施した」という報告もある(本人の関与の程度には争いがある)。
なお「180wpmを記録した」というAP通信の報道について、海軍はそんな試験も発表もしていないと文書で否定している。
決定打になった1956年の実験
いちばん効いたのが、1956年にGSA(米国一般調達局)でアール・ストロングが行った研究だ。
- 政府のタイピスト10人をDvorakに再訓練した
- 元の速度を取り戻すだけで25時間以上(1日4時間)かかった
- 第2段階で、Dvorak群の訓練継続と、QWERTY群10人の速度向上訓練を並行して実施
- QWERTY群の伸びのほうが大きかった
結論は「Dvorak訓練は訓練コストを回収できない」。GSAがDvorakを採用しなかった決定打になった。
現在の評価
反論もある。ストロングの研究自体がQWERTY側に有利にバイアスしていた、という批判だ。
そして現代の研究は、もっと身も蓋もないことを言っている。訓練を積めば、アルファベット順配列を含む多くの配列が、QWERTYやDvorakとほぼ同等の速度を出せる。配列はタイピングという複雑な身体動作の、ごく一部でしかない。
シミュレーション研究では、Dvorakは約5%速いだけという結果も出ている。QWERTYの「連続する文字を遠ざける」設計が、結果として左右交互打鍵を増やしていて、ホームロー率の不利を相殺しているという説明だ。
腱鞘炎の軽減については、検証した科学的研究が存在しない。逸話的な報告だけになる。
いちばん誠実な書き方はこうだと思う。「Dvorakが劇的に速いという証拠は弱い。ただし『だからQWERTYが最適だ』という結論も、同じくらい証拠が足りない。実務的な差は小さい」
日本のキーボードの話
日本固有の事情も見ておきたい。
規格の年表
- 1972年 JIS C 6233 制定。情報通信端末用キー配列の最初の正式規格
- 1980年 JIS X 6002-1980 に改正
- 1986年 「新JIS配列」=JIS X 6004-1986。かなを4段でなく3段に収める効率重視の配列。普及せず、1999年に廃止
かな配列の起源
JISのかな配列は、1922年に山下芳太郎(カナモジカイ)がアメリカのメーカーに発注したカナ文字タイプライターが起源とされる。
そして設計方針は「効率より覚えやすさ」。五十音配列を出発点にしている。
効率を追求した新JIS配列は、普及せずに規格が廃止された。覚えやすさが勝って、効率は負けた。
JIS配列とUS配列
- JIS 109キー(106キー版もある)/ US 101キー(104キー版もある)
- 記号キーの位置が違う(特に @ : ; [ ] " ' =)
- JISにだけ漢字・無変換・変換・半角/全角キーがある
- US配列はスペースバーが長い
ローマ字入力が勝った
かな入力とローマ字入力のシェアは、こう変わった。
| かな入力 | ローマ字入力 | |
|---|---|---|
| 1990年ごろ | 55.1% | 30.9% |
| 2015年 | 5.1% | 93.1% |
| 2024年 | 5.2% | 94.8% |
ただしこれらの調査は、サンプルサイズや方法が公開されていない。特に2024年の数字はSNSの自発回答アンケートで、統計的な代表性はない。「おおむね5%前後」くらいに受け取っておくのが妥当だと思う。
なぜローマ字入力が勝ったのか。一次資料に基づく定説は見つからなかった。推論としてはこのあたりだろうと思う。
- 覚えるキーが26字で済む(かな入力は約50キー+濁点処理)
- 英数入力と同じ配列を共用できる
- パソコン教育が英字キーボード前提だった
- 新JIS配列が普及せず、効率的なかな配列が定着しなかった
航路 — スマホでは、QWERTYは勝っていない
最後に、いちばん面白かった話を。
「活字棒が絡むという物理的制約が消えたのに、なぜスマホでもQWERTYなのか」——経路依存の例として、よく語られる。配列を変えるコストは学習し直す個人が負担するのに、利益は不確実だから変わらない、という説明だ。
ところが日本語入力に限ると、スマホではQWERTYはむしろ主流ではない。
NTTドコモ モバイル社会研究所の2023年2月の調査(15〜79歳、5,652人)によると、フリック入力の利用率はこうなっている。
| 年代 | 男性 | 女性 |
|---|---|---|
| 15–24歳 | 33% | 47% |
| 25–39歳 | 30% | 32% |
| 40–59歳 | 19% | 20% |
| 60–79歳 | 10% | 7% |
どの年代でも半数に達していない。 残りはトグル(ケータイ)入力、QWERTY、音声入力、手書きに分散している。
つまり——物理的な制約がなくなった環境では、QWERTYは実際に揺らいでいる。日本語入力がその実例になっている。
「QWERTYは経路依存で変わらない」という話の反例が、自分のスマホのなかにあった。

おまけ — TYPEWRITERは最上段で打てる
有名な話をひとつ。
“TYPEWRITER” は、キーボードの最上段だけで打てる。
上段は Q W E R T Y U I O P。T, Y, P, E, W, R, I, T, E, R——確かに全部入っている。これは事実だ。
問題はその先だ。「営業マンが客の前で商品名を打って見せられるよう、Rをわざと上段に移した」という説明がついている。
これは裏づけがない。 英語版Wikipediaも “this is not formally substantiated” と明記している。
さらに京大の安岡論文が、具体的に反論している。
- Rの位置が変わる前に、すでにブランド名は “Sholes & Glidden Type-Writer” に決まっていた
- 当時の販売実演は、モールス受信の実演か口述筆記で行われていた。一本指でブランド名を打って見せるような実演はしていない
事実としては正しいが、由来の説明は俗説——という形で紹介するのが正確だと思う。
おまけ2 — AZERTY と QWERTZ
ヨーロッパには別の配列がある。
- QWERTZ ドイツ語圏(独・墺・スイスなど)。YとZを入れ替えている。ドイツ語でZの頻度が高く、Yが低いため。ウムラウト(ÄÖÜ)とエスツェット(ß)を配置
- AZERTY フランス語圏(仏・ベルギー)。A↔Q、Z↔W を入れ替え、Mを右手中段へ移動。数字段はシフト併用が既定
QWERTZの入れ替え理由ははっきりしているが、AZERTYの成立経緯には定説がない。
まとめ
整理する。
- QWERTYは10年以上かけて少しずつ変わり、1882年に確定した
- 元の主張は「活字棒の衝突回避」であり、「遅くするため」はその変質形
- 俗説は、1980年の論文の「unintentionally」が孫引きで落ちて生まれた
- 京大の研究は電信起源説を提示。ただし定説が覆ったとまでは言えない
- Dvorakが劇的に速い証拠は弱い。ただしQWERTYが最適な証拠もない
- 日本では覚えやすさ(五十音)が効率(新JIS)に勝った
- スマホの日本語入力では、QWERTYは主流ではない
いちばん印象に残ったのは、俗説の生まれ方だった。
「意図せずして」の一語が消えただけで、意味が正反対になった。 そしてそれが、40年以上にわたって定説として流通した。
毎日さわっているキーボードの由来ですら、そうなる。

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更新ログ
- 2026-09-28 公開(本文のみ。会話パートはこれから足します)

