AIに仕事を任せる、というと、ゼロから何かを作らせる話になりがちだ。
やってみたのは逆だった。自分で作ったExcelを読み込ませて、「これについて、いい提案はありますか」「修正点はないですか」と聞く。作らせるのではなく、見てもらう。
この向きにしてから、効き方がはっきり変わった。
この記事は育ちます。公開後も、会話パート・トーク・補足を足していきます。
公開 2026-09-08 / 最終更新 2026-09-24(育つ記事に切り替え)
航路 — 直させると、速い
Copilotに自分の資料を見せて出てきたもので、よかったのはこのあたり。
- 数字の誤りをチェックしてくれる
- 表の見栄えを整えてくれる
- 表やグラフを独自に作ってくれる
入力は人間がして、その先の見栄えまで手を掛ける。それだけで、上司や他の人からもらえる印象は変わってくる。ここは素直に効いた。
いちばん驚いたのは集計だった。
数年ぶん蓄積したデータが、同じ書式でシートごとに分かれている。それに対して「すべてのシートの数字を集計して」と指示したら、とんでもない量をあっという間にまとめてくれた。あとから追加したぶんも、そのまま追加で集計できた。
自分でやったら何時間かかったか分からない作業だった。
シートは30枚くらいあった。どれも同じ書式で作られていて、違っているのは中の数字だけ。人がやるなら、1枚ずつ開いて、同じ場所の数字を拾って、別の表に転記していく作業になる。単純なのだが、途中で1つずれたら全部おかしくなる種類の単純さだ。
その30枚を、一度の指示でまとめてくれた。しかも、あとから増えたぶんは、そのまま足せる。手作業でいちばん神経を使っていたところが、丸ごと消えた。

暗礁① — 事実は間違えない。読みづらいだけ
使えなかったものもある。ただし、思っていた理由とは違った。
事実や数字が誤っていることはなかった。むしろ逆で、数字をチェックしたうえで「ここは異なっていましたから修正しています」「修正してもいいですか」と確認してくる。そこは信用できる。
引っかかったのは、文章の読みづらさだった。
どこが読みづらいのか、しばらく言葉にできなかった。あとから分かったのは、読んでも頭のなかにイメージができないということだった。
書いてあることは分かる。日本語としても正しい。それなのに、じゃあ自分は何をすればいいのかが浮かんでこない。
結局、こちらが実際に手を動かして、動かしながらイメージを作っていた。本来は文章がその手間を省いてくれるはずのところを、読み手が肩代わりしている。読み手の頭のなかに絵を描かせるところまでは、まだ届いていなかった。
文章として間違ってはいない。ただ、これを見た受け手がイメージできるかというと、疑問だった。手順の指示は書いてある。でも、それを読んで実際にどう動けばいいのかは分からないのではないか。作りながら、ずっとそう思っていた。
AIが独自に加える解釈も、共感を得づらいものが多かった。
適切なたとえか分からないけれど、お笑い芸人がトークでイメージさせて笑いを取る、あの視点がAIにはまだない。AIの文章で笑わされたことは、いまのところない。
手書きの資料をAIに整えてもらったのに、結局それが後任には読まれなかった、という話は別の記事に書いた。あれも根は同じで、文章として正しいことと、読み手に届くことは別だった。
暗礁② — 直すより、作り直すほうが速かった
そして、いちばん時間を食ったのがここだ。
AIが作った文章を直すのは、かなり難しい。骨組みから変えようとすると手に負えなくて、結局「それなら自分が書くわ」と一から書き直す。トータルで見ると、最初から自分で書くより時間がかかっている。
端的なものはいい。グラフとか図とか、人間の作り手が面倒だからやらずに済ませていたところを、ぱっとやって見せてくれる。ここは間違いなく速い。
文章は難しい。

暗礁③ — 薄いものを出すと、がっかりされる
直すより作り直したくなる理由が、もうひとつある。分量だ。
AIに任せたものは、事実としては合っているのに、短い。薄い。
読む側に立ってみると分かる。検索して、開いて、それがちょろっとした内容と分量だったら、がっかりする。もう一度この人の記事を読もうとは思わない。自分が読み手のときにそう感じるのだから、自分が出したものでも同じことが起きる。
だから、直すのではなく書き足すことになる。書き足しているうちに、元の文がだいたい残らない。それなら最初から自分で書いたほうが速い、という話にまた戻ってくる。
水深 — 数字は合う、文章は合わない
やってみて分かったのは、この線だと思う。論理的に組み立てられるのは、数字と表。文章の論理展開は、まだ人間のほうがいい。
もう少し踏み込むと、合理的な文章は読まれないのだと思う。
無駄があって、その人の経験からしか出てこない言い回しがあって、その人がつくる情景描写がある。人が惹きつけられるのはそちらだ。合理的であることと、読まれることは、別のものだ。

転機 — 長文を投げて、魔改造された
いまの使い方に落ち着くまでには、失敗が1つある。
以前、自分で書いた文章をChatGPTに投げたことがあった。返ってきたものは、魔改造されていた。言い回しが変わっただけならまだいい。意味が変わっていて、文脈もわけが分からなくなっていた。
特に長文がだめだった。長く投げれば投げるほど、返ってくるものが自分の書いたものから離れていく。全体を渡すと、全体を作り替えられる。
それからは、投げ方を変えた。自分の文章をまず作る。そのうえで、一文ずつ、短く区切ってチェックしてもらう。全体は渡さない。
この方法で書いたのが、もうひとつのブログの「ヨルシカ『幻燈』の詩学」という記事だった。かなり長い記事だが、自分の文章のまま最後まで残っている。区切って渡すというだけで、そこは守れた。
航路② — 投げる向きを変えた
だから、AIには文章の骨組みと論理の流れは投げないことにした。
最初は逆を考えていた。ブログの文章をAIにチェックさせて、自分が修正する。それがいいだろうと。
いま試しているのは、こうだ。
AIには、こちらに質問をしてもらう。テーマを出してもらう。それに対して自分は、人間臭い、無駄のあるような文章で返す。口語なのか文語なのかよく分からない、誤字もある文章で。それをAIに整えてもらって、ブログとして出す。
この記事も、そうやって書いている。
いまは、想像を超えてくることがある
失敗と呼べるのは、出てきたものが自分の想像より下だったときだ。自分の頭のなかにあるものと同じか、それ以下なら、頼んだ意味がない。
ただ、最近はそうでもない。自分が想像していたよりも上のものが返ってくることがある。そういうときは素直に勉強になるし、単純にわくわくする。
だから、向きを変えたのは正解だったと思っている。ゼロから作らせると、自分の想像の下に着地しやすい。自分の作ったものを見せて直させると、自分の想像の上に出てくることがある。同じAIでも、投げる向きでそこが変わる。
この記事は、まだ書きかけです
この記事は、公開してから足していく形にしています。調べたことを書いた本文がまず先にあって、あとから「聞き手と話し手の会話」「あとで思い出したこと」「読んだ人から教わった補足」が積もっていきます。
だから、同じURLでも半年後には別のものになっているはずです。もし一度読んだことがある記事なら、下の更新ログだけ見てください。増えたところが分かります。
更新ログ
- 2026-09-24 「育つ記事」に切り替え(以後ここに追記していきます)
- 2026-09-08 公開

